「母性愛」と「父性愛」

母性愛と父性愛についてこんなブログの投稿がありました。

文末にその母性愛と父性愛について私の思うそれぞれの愛について書いて見ました。

 

父親の愛と母親の愛は基本的に違う。動物界を見ても育てる段階においては殆どが母だけで対応しているのではなかろうか。そういう観点では人間の父親は素晴らしい責任感だと私は思っている。

『愛の能力の発達と密接に関連しているのが、愛の”対象”の発達である。生まれてから数ヶ月間或いは 数年間、子供が一番愛着をいだく対象は母親である。この愛着が生まれたのは、 出生より前の、母親と子供がまだ一体でありながら同時に二人であった時である。出世は、いくつかの点ではそうした状態を変えるが、その変化は見かけほどではない。子供は、母胎の外で生活するようになっても、まだ完全に母親に依存している。

しかし、日を追うごとに子供は独立してゆく。歩くことや言葉を話す事を覚え自力で世界を探検することを学ぶ。それにともなって、 母親との関係はその決定的重要性を失い、それにかわって父親との関係が次第に重要になってくる。

この母親から父親への推移を理解するには、母親の愛と父親の愛との本質的な性質の違いについて考えてみなければならない。母親の愛については既に述べた。母親の愛はその本質からして無条件である。母親が赤ん坊を愛するのは、それが彼女の子供だからであって、その子が何か特定の条件を満たしているとか、ある特定の期待に答えているからではない。(もちろん私が母親の愛とか父親の愛 という時・・・・それはすべての母親あるいは父親が こういうふうに愛するという意味ではない。私は母親あるいは父親の姿をとってあらわれる母性原理・父性原理について述べているのである)。無条件の愛は、子供だけでなくすべての人間が心の奥底から憧れているものの一つである。

それに対して、長所があるから愛されるとか、愛される価値があるから愛されるという場合は、常に疑惑が残る。ひょっとしたら自分は、愛してもらいたい相手の気にいらなかったのではないか、といったあれこれの疑惑が残り、愛が消えてしまうのではないかという恐怖が絶えずつきまとう。しかも、愛されるに値するから愛されるといった類の愛は”ありのままの私が愛されているわけではないのだ。””私はただ相手の気に入ったという理由だけで愛されているのだ。””要するに私は愛されているのではなく、利用されているのだ” といった苦い思いを生む。だから、子供も大人も母性愛への憧れを捨てきれないのは不思議ではない。

ほとんどの子供は幸福にも母性愛を受けるが、大人の場合は母性愛の憧れを満足させるのははるかに難しい。もっとも十分な発達においては、母性愛は正常な異性愛の一要素として存続するが、母性愛が宗教的な形をとることもあれば、神経症的な形をとることもある。

父親との関係は、これとはまったく異なる。母親は私たちが生まれた家である。自然であり大地であり大洋だ。父親はそうした自然の故郷ではない。子供が生まれてから数年間は、父親は子供とほとんど関係をもたない。生まれて間もない子供にとっての父親の重要性は、母親の重要性とは比べものにならないほど小さい。父親は自然界を表しているのではなく、人間の生のもう一方の極、すなわち思考、人工物、法と秩序、規律、旅と冒険などの世界を表しているのである。子供を教育し、世界へつながる道を教えるのが父親である。

父親には、この役割と並んで、もうひとつ、社会経済的な発達と、深い関係のある役割がある。私有財産が生まれ、その財産を息子の一人に相続させることができるようになったとき、父親は自分の財産を託せるような息子を探すようになった。当然ながらその息子は、後継者として最もふさわしいと父親が考えるような息子、父親に一番似ている息子、したがって父親の一番気に入っている息子である。父親の愛は条件付きの愛である。”私がお前を愛するのは、お前が私の期待に答え、自分の義務を果たし、私に似ているからだ。”というのが父親の愛の原則である。』(エーリッヒ・フロム著”愛するということ”より)

NHKの朝の番組などで夫婦間の葛藤の問題を取り上げると、必ずトップにあるのが(妻から夫に対する不満第一位)

“夫が子育てをしない”

・・・・最近は女性も社会に出るようになり家事も男女が分担するようになった。ならば子育ても当然分担すべきというのが妻たちの主張。

そして男性たちはどう考えているかということでインタビューをすれば、”外でお金を稼いできて経済的に家計を支えるからいいじゃないか”と答える。

私はそれを聞いて”まあ、そうだよな”と思うが、その答えを聞いて最近の女性たちは憤慨し逆上する。

私事の話で恐縮だが、昔勤めていた頃、大変な水害にみまわれたことがあった。職業柄、非常事態になれば 男性職員は決壊しそうな川に行き土嚢積みをする。そしてそんなとき女性たちは事務所に残り電話受けをしたり現場から帰ってくる男性たちのために炊き出しをしたりする。 大変な事態を前に何も出来ない無力さを痛感したものだ。

同じ頃男女雇用均等法だったか・・・・組合で取り上げられ、女性職員たちはもうお茶くみはしないと言い出した。でも、わたしは自分の所属する部署にお客さんが来たらお茶くらい出したかった。

いくら男女が平等だからと言い、筋肉も骨も構造がちがう。女性に土嚢づみをしろと言われても出来ないのだ。

それぞれが得意分野で特色を生かし自由に動き、調和すれば全体像が美しいのであって、

なんでも同じことをしろというほうが、現場を無視したナンセンスなんじゃないかと思った記憶がある。

夫があまり得意じゃない家事を手伝ってくれるのは有りがたいこと、子育ては元来性質上母親の領域、それをもし夫も協力してくれるならそんなラッキーな話はない・・・・そんな解釈にはならないだろうか。

どんなに経済が大変でも母親は子供に勉強させるが、父親なら子供を学校中退させ工事現場に送るという。・・・・こんなに感覚が違うのだから、後で不満を言わないように母が子を立派に育てたほうがいいのではないか?

たぶん、母にとっては子が自分の一部だから子のためにすることは全然犠牲じゃない、自分を愛することと同じなのだから。

最近は育児をしないからと離婚される夫も多いそうだが、たぶん当人たちは寝耳に水だろう。

文化がいくら進歩したとはいえ、人間が自然じゃなくなることはたぶんない。本能というかありのままの性質を理解することで、誤解が解けたらいいのではとは思うが。

斎藤一人さんがおっしゃっていた。女性は子供が10人いたらみな均等にちゃんと愛せる能力がある。一方、男は妻がパートに出たいと言うと”俺の飯はどうしてくれるんだ?”と真剣に考える生き物だ。それくらい自分のことだけで精一杯、他に気を配れるような余力がないと。

何が言いたいかというと、女性の愛する能力は無限大だから、夫の協力なしでも大丈夫。あまり期待もせず責めもせず普通でいいのではと思った。(つづく)

 

以上のように母性愛は無条件の愛で父性愛は条件付きの愛と言う風に言われていますが

確かに世間一般的な今までの人間の社会での意識ではそんな時代が長く続いて来ましたがもう、人類は新たな意識の変容に伴いこれまでの社会との在り方も大きく変容し始めていると思います。ですから私は父性愛も母性愛同様に無条件での愛に変わるのではないでしょうか。

 

先の話しでは母親が子供に対するどんな子であろうと全てを無条件に受け入れる事が愛ならば子供では無い大人への愛ではそれが出来ないこと自体に子供なら出来大人なら出来ないとすでに条件を設けてしまってるのか限定した壁を設けている事になるのは社会の仕組み上からの問題だけなのでしょうか?

 

昨今、以前はマザコンの男性を嫌がり敬遠する女性が多かったのですが最近の傾向では以前に比べそれを嫌う女性が少なくなり、またそんなマザコンの男性を愛おしく感じて好む女性が増えて来たとも言われています。

これこそが、真の女性聖(聖母像)に目覚めつつある本来の女性の姿なのではないのでしょうか。

 

男性は、今そんな母性愛を求めどんな自分でも無条件に愛し、癒してくれる女性を深く潜在意識の中から真の愛として求めているのかも知れません。

そんな女性に出逢えたなら無条件に男性はその女性を父性愛によりどんな困難からも彼女を護り抜き幸せを与える事を無条件に愛を注ぎそこに自らの喜びと至福として感じる事が自己愛でもある事を知る事でしょう。

 

恐らくそこには何度と繰り返して来た転生の中での深く魂の繋がりをも解る相手として出逢う唯一無二の双子の魂(ツインレイ:魂の片割れ)を感じて無意識にその相手を解るのかも知れません。しかしその相手を求めてる内では求めると言う自我(エゴ)が常に自己の心に強くある為に女性は父性愛の守られたい愛されたいだけを求めすぎて無条件の愛に喜びを見出す事が出来ず、また男性も母性愛にある癒しやありのままの自分を愛して欲しいと願い求めてしまいその相手の彼女を無条件に深い愛情にて護り相手を幸せにする事への無条件の愛で自己の喜びと至福を感じる事を知る事が出来ないと言う事だと思います。

最後に、私達人間は男性は母性愛を求め、女性は父性愛を求め、男女それぞれだけが持つ特性の愛はどちらも無条件の愛であり、その

究極的な普遍の愛を求めるのでは無くどちらの愛も自己の中にすでに在る事を知る事では無いのかと思います。

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