これ、11月にアップしようとしていたのが下書きにあり、今更だけど今年のうちにアップしておく。
キレイな空、このところ良い天気が続いている。
沈む夕日の向こうには、極楽浄土があるらしい。
今日はいつものお経を唱えたあと、般若理趣経を唱えてみた。
毎日唱えているお経に慣れたからかもしれない。
毎日唱えているお経に慣れたからかもしれない。
ルビの旧かな使いが苦手で避けていたけど、ルビに頼らず漢字を読んだ方が理解しやすいし、気が入る事がわかりホッとした。
仏壇も家の宗派も無視して、自分のやり方と哲学を選択する私を父や先祖代々はどう感じているだろう? と、時々思うが、それがわたしが跡取りとなり、喪主になった理由なので仕方ない。
この家代々の嘘とまやかしを取り払いたかったのだ…。
父にお供えしている切り花が枯れなくなったから、許してくれているのかも….
もしも、私と一緒に学んでくれているなら、それが最も大事だ。
だから、このまま突き進んで行くよ、お父さん。
11月3日は父の誕生日だったので、久しぶりに父と飲んだ。
父の供養を始めた頃、お供えする切り花はあっという間に枯れてしまい、買っても買っても、花も開かないうちに枯れてしまうので、しっかり開いている花が多いのを選んで買うようだった。
それがいつしかつぼみが膨らんで開くようになり、とても嬉しかった。
最近はなかなか枯れず、花が枯れても根が生えているのを発見して感動した。
花が枯れていた頃は、父も先祖代々もわたしを恨んでいるのでは? とか、やっぱり、呆れる程立派な仏壇を放置しているから、怒っているに違いないと考えたものだったけれど、枯れなくなった。
最近はなかなか枯れず、花が枯れても根が生えているのを発見して感動した。
花が枯れていた頃は、父も先祖代々もわたしを恨んでいるのでは? とか、やっぱり、呆れる程立派な仏壇を放置しているから、怒っているに違いないと考えたものだったけれど、枯れなくなった。
* * *
生前、呆け始めた父は、悲しみに暮れると、よく仏壇に向かって祈りを捧げ、「ご先祖様に申し訳ない」と、泣いていた。徐々に、慰めることも宥めることも難しくなっていった。
呆けたからではなく、犯罪に巻き込まれた両親を、結局、ぜんぜん、守ってあげられなかったから…。
わたしも犯罪に巻き込まれ、後悔する余地もないほど大変だったから、後悔などしていないけれど、悲しみに暮れる父がただただ哀しかった。
それでも、父とみっちゃんと3人で過ごした日々は、いつでも愛おしく、慰めと心の喜びがあった。
呆けたからではなく、犯罪に巻き込まれた両親を、結局、ぜんぜん、守ってあげられなかったから…。
わたしも犯罪に巻き込まれ、後悔する余地もないほど大変だったから、後悔などしていないけれど、悲しみに暮れる父がただただ哀しかった。
それでも、父とみっちゃんと3人で過ごした日々は、いつでも愛おしく、慰めと心の喜びがあった。
* * *
今年の11月3日がどんな日かマヤ暦で調べてみたら、Kin219、青い嵐の紋章で赤い月のウエブスペルだった。
マヤのKinとは「日」という意味なんだけれど、マヤ暦の一年は260日で出来ていて、365日の太陽暦をマヤ暦に変換すると、1年に1,2回のKINバースデイ(マヤ暦の誕生日)が巡ってくる。
そして、Kin219はわたしの生誕の時のKINで、今年の父の誕生日はわたしのKINバースデイだった。
KINバースデイは、生まれ持ったエネルギーが活性化して、いろんな願いが叶いやすい日でもある。
果たしてそれは偶然だろうか? 実は父とわたしの相性はマヤでいうと絶対反対KINなのだ。
単なる反対KINではなく、絶対反対KIN。両親や親類の話を聞き、自分の記憶を辿ると、生まれた瞬間から父はわたしを溺愛してくれたようだけれど、わたしの方では父はとても長い間、ありがた迷惑な存在だった。純粋で潔癖で怒ってばかりいる…ある程度成長すると、それが愛情や誠意の表現だと気づいたけれど、事なかれ&忖度を日常にする世間とは相容れなかったし、家族も嫌っていた。
マヤのKinとは「日」という意味なんだけれど、マヤ暦の一年は260日で出来ていて、365日の太陽暦をマヤ暦に変換すると、1年に1,2回のKINバースデイ(マヤ暦の誕生日)が巡ってくる。
そして、Kin219はわたしの生誕の時のKINで、今年の父の誕生日はわたしのKINバースデイだった。
KINバースデイは、生まれ持ったエネルギーが活性化して、いろんな願いが叶いやすい日でもある。
果たしてそれは偶然だろうか? 実は父とわたしの相性はマヤでいうと絶対反対KINなのだ。
単なる反対KINではなく、絶対反対KIN。両親や親類の話を聞き、自分の記憶を辿ると、生まれた瞬間から父はわたしを溺愛してくれたようだけれど、わたしの方では父はとても長い間、ありがた迷惑な存在だった。純粋で潔癖で怒ってばかりいる…ある程度成長すると、それが愛情や誠意の表現だと気づいたけれど、事なかれ&忖度を日常にする世間とは相容れなかったし、家族も嫌っていた。
わたしも子供時代は怖かったし、悲しかったし、独断的で優しくなれず、仕事も大成功の後は失敗ばかりの父に悩まされた。けれど、大人になり、いざ自分が人に理解出来そうも無いことや、誰も賛成しないことを決断したり、実行したりするときには、父だけは、本当に分かってくれた。
わたしが繰り返し失敗したりしていく場面では、陰になり日向になり支えてくれた。
父だからというのではなく、父の人生と父の愛、そして諦めない心が、本当にありがたかった。
だからこそ、従姉(みっちゃん)を助けるため、犯罪に巻き込まれていく父の人生を見捨てられなかった。
そうして踏み込んでしまった道の途中で、わたしは未来の自分と出会った日々を思い出し、星の人々と出会い、宇宙と地球の変革を知ることになり、未知への扉が少しずつ開いていった。
父はそうして、わたしの世界の新しい扉を開いていってくれた。
その扉の向こうに、父と一緒に行くことは出来なかったけれど、愛のため、いつも父は必死で新しい扉を探し、開けようと藻掻いてくれた。
途中で呆けてわかんなくなっちゃったけど、立派だったね、お父さん。
人生で成し遂げたかったことを、ちゃんとやって逝ったんだね…。
ありがとうお父さん!
たくさんたくさん、ありがとう!
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