怠惰な性格ゆえ父の死に目に会えず、棺に入った父に対面しても、泣いた妹に貰い泣きしただけで、実は何の感情も湧かないまま時間が過ぎた…父の遺影がなかなか決められず、父が後生大事にしていた写真を整理していたら、わたしたち(子供)のアルバムや写真が出てきて、切なくなった。
アルバムは、2度目の一家離散の時、父が持って行ったものだ。
昨日は父の夢を見た。夢の中でも父は何も語ってはくれず、そこでも死んだばかりらしく、何か父の死をテーマに親族でいろんなことが繰り広げられていた。
家族構成も全然違っていて、わたしは弟と仲が良い。
現実は兄はいるけど弟なんて居ないんだが、夢の中ではよくできた弟に助けられて、何かしようとしていた。
夢の中のわたしは仕事ではなく、勉強したいらしかった。夢の中のわたしはいくつなんだろう?
…勉強したいなら、それは18歳?
父が伯父に欺され一家が離散したばかりで、発狂している母と情緒不安定な妹に根負けして、自分の進学は見送らざるを得なくなった頃だ。
余りにたくさんの事件があり、辛い決断をたくさんしたので、その頃の事はあまり思い出したくも無い。
この人生は人並みな事をするには短すぎ、わたしはいつも変人だったし、その判断に迷ったことなどない。
というより、他の選択などなかった。
それでも、18のわたしは、今も大学にいきたいというのか?
そうかもしれない。そうだったのかもしれない。
そうだったとしても、当時、あの母を捨てられなかった。
長い目で見れば、結局、父も捨てられなかった。そして、それで良かったと思っている。
長い目で見れば、結局、父も捨てられなかった。そして、それで良かったと思っている。
それはその後、何度も、それぞれの自立を促すことを試みたが、上手く行ったことなど一度も無かったし、そのことがわたしに悩みを与え、発明を与え、哲学を与え、わたしの文章の基盤を与えた。
それで結局、わたしは辛い選択をするのが案外好きになった。
辛かった分だけ幸せになったりはしないが、その分世の理を知り、あらゆる恵みの意味を知ることになったからだ。
しかし、もう一度人生があったとしても、同じ事をするに決まっているというのに、これ以上できないこともわかっているのに、父のことを思い出すと後悔や自己嫌悪に襲われる。
わたしはいつでも辛いフリをする母や他の誰かにまんまと欺され、真摯に生きようとする父をおざなりにした。
父の言葉を、暴れる父の握り拳の意味を、父の人生を、実はわたししか知らなかったというのに…。
みんなが嫌う父は、一番面倒臭い父は、とても不器用な愛を山ほど抱えていた。
真面目で、本当に心優しい人だった。
そしてそれは誰にも知られないまま、いろんな濡れ衣を着せられたまま…父は逝った。
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